(禁欲 241日目・一食 60日目)
嘘をつくのは非常に簡単ですが、嘘のついたあとの「背徳感」、これは「ほぼ万人に共通するもの」だと思います。
はじめに
ここで「ほぼ万人」と書いたのは、その中に入らない属種、嘘をついても「まったく背徳感を感じない者」も少なからずいるからです。
背徳感を感じない者、まさにこやつだった
またここで誤解しないで欲しいのですが、ついて良い嘘、真実を言わず黙っていた方が周りにとって幸せな事など、背徳感を感じないものは例外です。
オナ禁のリセット報告をする
さて、このネット上にある星の数ほどある「オナ禁・禁欲ブログ」、私も含めいろいろな方が切磋琢磨、創意工夫をしながら頑張っておりますが、自慰してしまったらほぼ大半の方が「報告」をしています。
「夢精」についてまでもきちんと報告をしています。
また報告はしないでもそこで「ブログ放置や削除」をしています、なぜでしょうか?
1回くらいの間違ったリセットなら「隠しておいても分からない」のではないでしょうか?、2回目もしくは3回目をやっちゃったら報告で良いのではないでしょうか?
なぜ皆さん「それをしない」のでしょうか?
いっそのことオ〇猿がオナ禁・禁欲ブログを書いたって身バレさえしなければ解りませんよね。
オナ禁・禁欲の目に見えない重み
「隠すなんて何言っちゃてるの?」と大半の方が思われるかもしれません。
そうなんです、こればかりは「隠すことは出来ない、隠してやってたらなんかおそろしい」のです。
オナ禁・禁欲ブログは言ってみれば、人間の3大欲である「性欲に戦いを挑む」ブログなので、自慰脱者(オナ禁者)の言葉・禁欲者の言葉には「大変な重み」が積み重なっていき、
オナ禁・禁欲励んでいる方、またはそうでない方にとっても「非常に興味のある知りたい事」だからなんです。
その重みを頭で解っていなくても、なんとなく「肌で感じるから嘘ついてまで書くのが恐ろしい」のです。
それこそ冒頭に記載した「背徳感」です。
オナ禁・禁欲の比べ物にならない背徳感
オナ禁・禁欲に対しての背徳は「テーブルの上においてあった1000円黙ってもらっちゃった」や「会社・学校を仮病使って休んじゃった」などの背徳感と違い、「比べ物にならないくらい大きさ」なのです。
ではなぜそこまで「大きく感じる」のか?
もちろん「今まで読んでくれた読者の期待を大きく裏切るなんて・・・」という裏切りの後ろめたい感情もありますが、もっと大きな事があります。
下のリンクを貼った記事で私は「オナ禁・禁欲は一種の修行」だと書きました。
オナ禁・禁欲はまさに神聖な修行
禁欲修行というのはいってみれば古来より「神に近づこうと努力する神聖な行い」なんです。
その神聖な行いには、人間は必然的に「嘘はつけないようになっている」のでしょう。
神聖な行いに対する背徳は「神に逆らうような、ものすごく重罪を背負う」という事を、先ほど書きましたが頭で解ってなくても、なぜか肌で感じてしまうのです。
もちろん私にしても、自慰もしくはセクリセや夢精・遺精が発生した場合は「もちろんすべて報告」をしなければならないと考えています。
まとめ・自慰脱者(オナ禁者)、禁欲者は嘘がつけない
またオナ禁・禁欲を長期行っていくと神聖な行いに対する背徳の嘘はもちろんのこと、人をだまして傷つける悪い嘘もつけなくなっていき「嘘をついてしまう自分に重い嫌悪感」を抱いていきます。
これはオナ禁・禁欲生活をしていて、前頭葉が鍛えられている結果からかもしれませんが「神から与えられるご褒美」のようなものかもしれませんね。
嘘をついて発覚した時の哀れにも見える「しどろもどろやきょどり」、そしてその後の周りからの「失望の目」を受け、その場ににはいれなくなり消えざるをえなくなる、そしてまた次も同じことをやらかす。
もうそんな自分を想像したくもないし、そういう人も見たくないと思っています。