(禁欲 252日目・一食 71日目)
下にリンクを貼った記事で書きましたが、私は「瞑想」をすると身体が勝手に動き出します。
「不思議だな」と感じていましたが、調べると特に悪い事ではなさそうです。
なぜ動くのか?
よくよく調べると理由は簡単で「生命エネルギーが流れているから」だそうです。
この生命エネルギーを「シャクティー」といいますが「シャクティーとかプラーナとかナーディ」とか書くと、また「話がスピリチュアル(宗教)な変な方向」に行ってしまうので、詳しくはまだ書きません。
瞑想中に身体が動くのは、その生命エネルギーが体内で駆け巡りだし「身体中の詰まっていて通れなかった配管」のようなものを通しだし、その刺激によって揺れていたとのことです。
私は座禅をしているので結跏趺坐か半跏趺坐の法界定印で瞑想しますが、初めはゆっくり揺れ出し、だんだんと大きくなり、またゆっくりになる。
横に揺れたり、円を描いたり、上向いたり、下向いたりと本当に様々です。
予備知識
結跏趺坐(けっかふざ)・・・両足とも反対のふとももにのせる、終わった後に「地獄のしびれ」を引き起こす姿勢
半跏趺坐(はんかふざ)・・・どちらか片方の足をふとももにのせる意外というか、かなり楽な姿勢
法界定印(ほっかいじょういん)・・・よくみる座禅をするとき組む両手の円の形
マントラと瞑想
さらに瞑想するには「マントラ」を聞くと良いと書かれており、「サイババのマントラ」が一番だと書いていたので聞いてみました。
マントラは、サンスクリットで、本来的には「文字」「言葉」を意味する。真言と漢訳され、大乗仏教、特に密教では仏に対する讃歌や祈りを象徴的に表現した短い言葉を指す。
(ウィキペディア引用)
やってみて思いました、はっきり言ってこれは「凄い」です。
本当に聞いて瞑想をすると「揺れ方が違います」、そして目をつぶって中の暗闇に「何かが」映し出される感じも受けました。
ヒンドゥー語なので何言ってるか解りませんが「日本のお経」だって解らないのだから同じようなものなのでしょう。
昨日の瞑想

そこで「この揺れずっと続けていたら、どうなるんだろう?」と疑問に思い、昨日は「気のすむまで」瞑想をしてみました。
瞑想はかなり深層意識に入り込んでいくので「自分の中の地下の階段を下っていく」ようなものです。
結局、揺れは止まりだんだんと「前のめり」になってしまいました。床に頭がつくほど前のめりです、そこで止まってしまいました。目を閉じているので暗闇です。
しかし意識ははっきりしていて「無の暗闇空間と自分の意識」だけでした。
途中「ぐぅ」という寝息がたちましたが、「ぐぅ、えっ、あんたもしかしていま寝た?」と意識が必ず問いかけてきます。
座禅はかなりの「睡魔との戦い」で寝ようと思えば寝れますが、瞑想は「意識が起きている」ので目をつぶって深い暗闇空間にいても「寝れない」ということに気がつきました。
まとめ・戻ってくるのに時間がかかる

今回の記事は瞑想熟練者にとっては「当たり前の事」を私が書いているだけにすぎませんが、かなりの奥深さを感じました。
前に御坊様に言われた「座禅は瞑想ではない!」という事が「寝れない事」で理解が出来てきました。
そして今回は深い階段を下りて行けばいくほど「戻ってくるのに時間がかかる」というのも実感しました。
そんなの「パッとおきればいいじゃん」と思うかもしれませんが、ほとんど「金縛り状態」なので動くことが出来ません。
逆に「パッ」なんてやると「かなり危険な香り」がします。
私の場合、意識が「そろそろ戻ろうか」と思ったときに、「はい戻って、戻って、戻って・・・・」と何度も何度も頭の中でいいます。
そうすると身体が自然と持ち上がっていくのです。実際に「数を数えて意識を戻す方法」もあるのだそうです。
戻るのには「かなりの時間」を要しましたが、まるで映画の「巻き戻し」のような感じでゆっくりと元に戻っていきます、本当に巻き戻しでした。
しかし「深い瞑想」をし終わったあとの感覚は「まるで自分じゃない」感覚で、感覚が鋭く研ぎ澄まされていました。
そしてその後の体調もかなり良くなり、心身共に完全にリフレッシュされていました。
マントラと瞑想・・・ハマりそうです。