(禁欲 318日目・一食 137日目)
単身赴任が終了し家族と暮らし始めて、もうすぐ2か月経過します。
不射精禁欲同様、一日一食も継続していますが、ふと疑問に思ったことがありました。
はじめに
現在家族たちは私の継続している一日一食をずっと静観していますが、最近になり子供たちは純粋なので「朝ごはんいらない」「昼食べない」「一日二食でいいや」、
「将来一日一食にする」などと言い出し妻を困らせ始めています。
それは子供たちは純粋な気持ちのぶん「父親が夜しか食べないで普通に元気でいて、格闘技の練習にも行っている」ということを理解し、
「人間そんなに食べなくてもよかったんだ」と、子供ならではの素直な気持ちで受け取っているからだと感じます。
しかし子供は将来の成長に支障をきたしそうなので、私から基本3食たべるように伝えています。
(本人希望でも2食しか食べさせなかったら、普通から見たら児童虐待ともとられかねませんしね)
では妻は?
妻も私の一日一食を見て私自身が現在夏バテもせず平気に行っているのに、
「なぜやってみようと思わないのか・・・?」と私は感じました。
よく妻は「太った~」、「どんどん顔が年取ってしわも増えていく」などとぼやいてます。
そこですかさず私は「一日一食にすればどんどん痩せるし、若返るんだよ」と言っても聞く耳もちません。
私がまだ単身赴任中に、一日一食にしたことを家族に伝えた時は信じられないような顔をし大反対しました。
しかしインターネットに書かれているサーチュイン遺伝子や色々なメリットを説明し、妻自身も自分で詳しくネットを調べたようで納得はしました。
しかし不射精禁欲・一日一食している私を実際に目の当たりにしても、自分では実践しようとは考えないようです。
サーチュイン遺伝子や一日一食の効果について
一日一食や減食で発生するサーチュイン遺伝子の驚きの効果を解説
三大欲求の食欲を「一日一食」にすることによって起きる劇的効果
禁欲はなかなか出来ないようなっている
私もこればかりは妻にも強要するつもりはまったくありませんが一日一食も以前からいうように、
今までの3食から2食を減らしてしまう、いわゆる「禁欲修行」です。
もちろん一日一食にすると上にリンクを張ったような大メリットが与えられます。
不射精禁欲から比べると「一日一食の方が楽そう」と思いがちですが、その一日一食という禁欲を実践しようと思うまでに「相当の時間がかかる」と思います。
もしかすると妻の場合、一生出来ずこれから先、私よりも「劣化のスピードが速く老いが顕著になっていく」と思います。
しかし禁欲とはそれほどまでに相当な覚悟も必要となり、
「何かしらの重要なきっかけ・そこに進ませる強烈な動機がないと飛び込めないもの」なのです。
先人のたった一言
「なぜ出来ないのか・・・」と考えるとそれはたった一言で以前に記載した、イエスキリストの「肉の欲」でしかありません。
3食必要・食べたいと考えてしまう食欲も身体の欲してしまう欲、いわゆる肉の欲です。
肉の欲について書いた記事
今考えると約2000年前のこのたった一言で全てが解明されており、今でも生きてる人ほぼ全員が「この肉の欲に支配され続けているんだな」と理解してきました。
何も悪いやつではない
何度も書いていますが私は「ほぼ全員を支配している肉の欲は悪いやつ」と言っているわけではありません。
人間みな生まれた時からまず肉の欲(欲望)の支配からスタートします。
欲がないともちろん生きていけず、欲を持ち続けながら自分の人生を楽しむべきだと私も考えています。(でも自慰したいと思う欲はいらない)
しかし不射精・一日一食をしていくと、だんだんと「霊主肉従の霊と肉が顕著に分離していく」ような感じになっていき、
こんな浮世離れな文章を書けたりしていけるのです。
まとめ・以前から言っていますが・・・
以前から私はオナ禁・禁欲&一日一食は「やりたい人だけやればいい」と言っていました。
それはこれからも永遠に変わってはいかないでしょう。
しかし長期でそれが実際に出来てくるとなんとなく「次の段階に進みだすのだろな・・・」と考え始めています。
イエスキリストは肉の欲と霊、いわゆる「霊主肉従」の観点から説明していましたが、お釈迦様も同じようなことを言っていました。
「他人の事ではなく自分の内側を常に監視せよ、そうするといつか真に自由になれる」
ちょっと難しいでしょうかね。