(禁欲451日目・一食270日目)
日々わたしが眺めている他の方々のオナ禁ブログがありますが、何年も長期で継続していたとしても「ある日ぷっつり」と途切れてしまう。
それが「オナ禁ブログの宿命」なのかもしれませんが、一抹の寂しさを感じている今日この頃です。
このブログだってそういう不確かなところはありますがね・・・
はじめに
オナ禁ブログを書き始めた方々の最初の記事は、どれも何か目標を持ち「絶対やってやる!!」という意気込みがひしひしと伝わってきます。
そして日数が経過するにつれ、その効果報告やコツ、オナ禁効果アップのためのアイテムなどを書いていっています。
しかしそのオナ禁ブログも大抵は「突然のリセット報告や放置状態」になりますが、長く継続していたブログでさえもこの状態になります。
それはなぜか・・・?
オナ禁・禁欲を長期続けると出てくる苦悩の思考
それはひとえに・・・
「なぜ自分はこんなに苦しい事を毎日やっているのか」
これに限ると思います。
そこから「どうせ続けたって変わんない」「こんな苦しみを味わうより自分らしく生きればいいじゃない」「人間(自分)なんて弱い生き物だし」などの考えが派生し、頭をグルグル巡り「苦しみの思考に拍車」をかけます。
この派生する苦しみの考えは一言でいうと、私のよく言う表現で「肉の欲がかけてくる重圧」です、もうこれしかありません。
肉の欲について書いた記事
上のリンクを貼った記事と少し被ってしまいますが、オナ禁・禁欲をする理由が彼女を作りたいという目標であるならば「彼女出来た!」「セクリセ出来た!」と目標が達成出来た時点で、肉の欲がかけてきた重圧からある意味「解放」されます。
ただ、目標がそれ以上のオナ禁ではない「禁欲」となると話は別となり、もちろん肉の欲がかけてくる重圧は「在家にいると」日にちが経つにつれ、ますます重くなっていきます。
はじめてこのブログを読む方へ
*在家・・・世間で生活している普通の人、一般人の事です、反対語は出家。
(関連記事)
禁欲生活において在家と出家はどちらが有利か?そのメリットデメリット
「霊と肉ね、この苦しみの思考はしょせん肉体がかけてきているだけで、自分はどうせ違うんだよね~」と割り切って考えられると超ベストなんですが、なかなかそうもいかないと思います。
作家・宮沢賢治
つい最近の記事で「宮沢賢治はベジタリアンの禁欲者」と書きましたが、宮沢賢治は「独身を貫いた在家禁欲者」でもありました。
自分の中の一日一食「Myルール」の設定方法(禁欲444日目・一食263日目)
その宮沢賢治も自身で
「禁欲は、けっきょく何にもなりませんでしたよ。その大きな反動がきて病気になったのです」
と、書籍・”宮澤賢治と三人の女性” で話しています。
禁欲効果もあったのか女性からも当時は「詰め寄られるくらいにモテていた」とのことですが、ここで言いたかったのが「無理して長期禁欲すると病気になる・身体を壊す可能性がある」ということです。(享年37才)
在家禁欲者を目指すなら妻子がいないと無理かもしれない理由(禁欲 325日目・一食 144日目)
上の記事はまさにこのことを伝えたかった理由の記事でもありましたが「自分の心が伴わない在家での長期禁欲はそれほどまでに難しい」という事です。
まとめ
冒頭で、消えてしまうのは「オナ禁ブログの宿命」と書きましたが、このような理由もあります。
肉の欲がかけてくる重圧、それに連鎖する苦しみの思考は心が伴わないと身体をもむしばみ破壊してしまう。
ということもあり「オナ禁お勧めしていない」と、このブログで口すっぱく私は何度も書いていました。
ただ、オナ禁・禁欲をそれでもいいから「自分にはどうしても必要なんだ!」と思われた方は、上記の事を踏まえ「自分の目標と立ち位置(未婚・既婚など)」を考えたうえで実施するのがベストだと考えています。
オナ禁・禁欲のやり方や続けるコツ、必ず「目標」を設定しよう!
おまけ・「Mr.T」の感想
「Mr.T」: あのう、、、宮沢賢治さん
あっしからの視点では今のいままでずっ~と歴史に名前を残しといて、数々の名作や詩を生んどいて「禁欲はけっきょくなんにもなんなかった~」というのは、同じ在家禁欲者として「Mr.T」、ちょっと納得いかないっス。。。
宮沢賢治全集〈7〉銀河鉄道の夜・風の又三郎・セロ弾きのゴーシュほか (ちくま文庫)