(禁欲493日目・一食312日目)
前回の記事はちょっとおちゃらけ気味で気軽に長々と書いたので、今日は「真面目モードにシフトしスピリチュアル全開」でいこうと思います。
いままで「オナ禁者」、「オナ減を目指す方」、「100日以上のオナ禁者」と順番に記事を作成していきました。
本日は私のような「在家禁欲者や目指したい人」のために作成します。
(今回の内容は少し怖いかもしれませんので、心臓の悪い方は読まない方が無難です。)
はじめに
わたしはよく「オナ禁・一日一食をおすすめしていない」とこのブログで何度も書いています。
まだまだそんな世界にはならないはずですが、下に書いた記事。
皆が皆オナ禁・禁欲が出来ると経済は崩壊してしまう、しかし!<前編>(禁欲 353日目・一食 172日目)
特に「一日一食」は経済に与えるダメージが大きすぎるので、こう書きました。
ただ「オナ禁」、とくに「禁欲」はというと、まったく次元が違っていきます。
プランA・プランB
オナ禁して筋金入オナ禁者(スーパーサイヤ人)となり、俗世で性エネルギーを使い大活躍する。
このブログを読んで頂いている読者の方は大半がこの「プランA」だと考えています。
しかし私のように長期不射精による「在家禁欲者」を目指し、何か未知のものを知りたいという「プランB」だとすると、宗教が密接にからんできて非常に特殊になっていきます。
そう考えると「特にプランBはおすすめ出来ない」となっていきますが、その理由を今日は書いていきましょう。
プランA・プランBはこの記事から引用
オナ禁者vs在家禁欲者 どっちがストイックかいま雌雄を決す!
不射精禁欲に絶対に必要となる「信仰心」
「完全なる禁欲が、霊的生活における成功の唯一の条件である。しかし、神への愛と信仰なしには、完全な純潔を守ることは困難、というよりむしろ不可能である。」
スワミ・ブラマーナンダ
クンダリニの記事でわたしはこのスワミ・ブラマーナンダさんの言葉を冒頭に出しましたが、
この「神への愛と信仰」という「信仰心」が絶対になければ、長期不射精禁欲は出来ません、続きません、途中で必ず挫折します。
「Mr.T」の信仰心についてはクンダリニでの記事で記載したので、ここでは省略します。
やっと到達した不射精禁欲ブログ100記事目のお題「クンダリニ」について
不射精禁欲せずして経典読むべからず
ただ最初に読んだ経典が「キリスト教・聖書」であり、まして不射精禁欲をしていなかったので、内容の20%も理解できず、ウールドヴァレータ(精液が上に流れる)もなかったので、信仰心は入りましたが「脳を破壊」しました。
ですのでこのブログでも何度か書いたように、不射精禁欲日数が足りないのに経典を根を詰めて読むことは「絶対におすすめしません」が、ただ中に書いてあることは「真実・真理」です。
さて、そんななかでも読者の方で「信仰心は持った(持っている)、不射精禁欲をこれからも余裕で続けられる」という、超つわもの禁欲者もいらっしゃるかもしれません。
不射精禁欲を続けられると必ず・・・
不射精禁欲を長期間続けられると、今度は不射精禁欲によるウールドヴァレータ(精液が上に流れる)で先人の「知識・智慧」を求めなければならなくなっていきます。
というより、そうならざるをえなくなります。
その「知識・智慧」とはなに・・・?
となるでしょう
それは私の現在読んでいる「クリシュナさん(現在半分ちょっと読みました)」もそうですが、不射精禁欲を続けていくにつれ、このような「先人禁欲者いったい過去どう考えていたのか、どのように伝えていたのかその知識を習得したい」となります。
いってみれば現在わたしの読んでいる、このラーマクリシュナの福音も「ヒンドゥー教の経典」のようなものです。
過去にいったいなにが?
その延長線上で、今度は「過去にいったいなにがあったの?」というところまで思考が発達していきます。
それをたどるとモーゼの「創世記」から始まり、お釈迦様の「原始仏教」、シュタイナーの伝えていた「ヨハネ黙示録の意味」、ダライ・ラマ14世の伝える「シャンバラの存在」、そして「日月神示」などと非常に興味が壮大なスケールとなっていきます。
しかしこのような一般では考えもしないようなことも、不射精禁欲によってなんとなく理解、イメージでき、その知識を渇望し、それが「脳に吸収」されていきます。
不射精禁欲をすすめない理由
ただ一つ言えるのが不射精禁欲日数が足り合いと「知りすぎるのがあまりにも深すぎて怖ろしい」と、心が思考についていけなくなってしまうときがあります。
生半可の禁欲日数では脳が吸収できず、無理に解釈してやろうとすると過去の私のように脳を破壊してしまうでしょう。
脳を破壊するってどういうこと?となると、それは「狂人になり精神錯乱」してしまうのです。
あいにく私の場合は軽傷で完全復活しましたが、これが不射精禁欲をおすすめしないといった「私の本当の理由」です。
現在までクリシュナさんメインでしたので、他はまだざっくりとしか私も目を通していません。しかし・・・
クリシュナさんのクンダリニの「サハスラーラ」、仏教でいう「開悟」、シュタイナーのいう「キリスト教の黙示録・霊界とつながり、自分の周りに霊界が現れる」というのは同一、
「各教典の教えもすべて共通の一本の線で綺麗につながっている」
ということが理解出来てきました。
まとめ
どうでしょうか、読者の方に少しでも私のいわんとしている「長期不射精禁欲を続ける怖ろしさ」は伝わりましたでしょうか?
クリシュナさんもよく「サハスラーラに到達(霊界が開く)すると、世俗での生活は不可能になる」と言ってはいますが、なんとなく私も実感が湧いてきました。
これが「不射精禁欲を続けられる人(禁欲者)の宿命」ということになってくるのでしょうが、ある意味「進むのも地獄、戻るのも地獄」という心境です。
わたしも前回、聖書をよんで「脳を破壊済み」は経験しているので、今後も不射精禁欲は続けますが、これからの知識習得はゆっくりとやらざるを得ません。
ただ、出家をすると周りに同じ境遇の修行者や師(ヒンドゥーではグル)がいるので、比較的安全にそこへ向かうことは出来ます。
禁欲生活において在家と出家はどちらが有利か?そのメリットデメリット
しかし在家禁欲者を目指そうとし、急激なスピリチュアル(宗教)知識の吸収は「命にもかかわる」ということですね。