(禁欲922日目・一食740日目)
ツイッターでも書いたのですが、前回記事の高濃度酸素吸入。
血流が良くなり二日酔いも早く醒め、気分の悪さにも非常に効果的なのですが、夕食後の晩酌をしながら吸うとアルコール自体も急激に脳へ運ばれ、普段よりも酒量が少ないにも関わらずブラックアウトします。
飲酒と酸素吸入はちょっぴり(かなり)危険な香りがするのでお勧めしません。
前回の記事
禁欲(オナ禁)効果をさらにアップさせるために重要だった酸素について
はじめに
さて、今日の記事は閉鎖した旧ブログでジェネさんから2月初めに質問が来ていたのにも関わらず、忙しさやいろいろと重なり返答が出来ていませんでした。
遅くなりましたが今回は「Mr.T」なりに感じた返答を書いてみました。
でもちょっとスピリチュアルすぎて普通からすると理解が難しい(出来ない)ところがあるかもしれません。
ま~、その理解されるのが難しいというのが「不射精禁欲者の悩み」でもあるのですけどね。
ジェネさんからの質問
オナ禁とは違い長期不射精禁欲は記事の内容が流暢に現れると思います。それだけ禁欲をしている人が少ないということなんですね。
私も禁欲をしてから関わる人が変わっていき連絡を取らなくなった人もいました。
長期禁欲となってくると関わる人達が極端に減ったように思います。
禁欲者が少数派となると肩身が狭いですね。孤独になっていくとはこういうことなんですかね。
質問頂いた旧ブログの記事です
「Mr.T」の返答・日月神示の言葉より
ジェネさん、コメントありがとうございました。ジェネさんも長期不射精禁欲で私と同じ疑問を抱いていたのですね。
その疑問については私の好きな日月神示の言葉から引用して説明すると、その言葉の中で
日月神示: 平面の上でいくら働いても、もがいても平面行為で有限ぞ。立体に入らねばならん。
無限に生命(いのち)せねばならん。立体から複立体、複々立体、立々体と進まねばならん。
という、理解するのに超難解なものがあります。
これを少しひも解いてみると、禁欲前の私たち人としての生活というのは、まさに日月神示の中の「平面の上」でしか生きていません、それがこの世に生まれて当たり前だった生活でしたからね。
しかし不射精禁欲を続けていると、なぜか今までの当たり前だった社会生活が、なにか平面上で生きているような世界観となっていき違和感を覚えていきます。
私も日月神示の「複立体、複々立体、立々体」というのがまだ全然実感がわきませんが、不射精禁欲を続けていくうちに段々と思考が変化していき、
自分が飛び出し絵本のように「垂直に立ち上がっていく」のが感じられていきました。
「Mr.T」の回答・続けたいかやめるか
平面から垂直に立ち上がる、そうなるとどうなるでしょうか?
周りの人は日月神示の言う平面社会で普通に生活をしていますが、自分の思考だけは不射精禁欲によって、そのあたりまえだった思考からだんだんと離れて行く。
そうなると自ずと周りの集団から自分自身が離れて行く(孤立していく)と思いませんか?
かと言ってそれが悲しい孤独感や暗い絶望感を味わうのでなく、「周りに理解されなくても自分は一人で進んでいこう」という思考になるはずです。
過去の先人禁欲者達の達観した頭脳というのは、きっと平面世界から超えたそれ以上の「複立体、複々立体、立々体」なんでしょう。
自分としてはこれからも不射精禁欲を続けていき、孤独を感じるのはもう仕方がないと思っていますが、
「この先の自分はさらにどう変化するのだろう?」という、未知の領域を感じてみたい自分もいます。
このブログで何度も書いてますが、スピリチュアルな視点を加えた長期不射精禁欲というのは「底が深すぎ」なんです。
その見えない底を知らなくても、周りと孤立していく自分に違和感を感じるのであれば、不射精禁欲なんてやめて「元の生活に戻るべき」だとも考えています。
同じ長期禁欲をするものどうしの共通した悩みでしたので、今回は自分の考えを述べてみましたが、少しは参考になったでしょうか・・・